未加工の自然と、人間の加工

草ぼうぼうの草原と手入れされた庭園。

伸ばしっ放しのひげと、整えられたひげ。

たるみっぱなしの肥満と、鍛え上げられた身体。

手を入れるということは、どういうことなんだろう。

素材のありのままの料理、調理に手間暇かけられた料理。

もともとの自分の顔と、化粧した顔、自分の顔として所有するからには責任をもつということ?

結婚指輪も。

服なんか気にしないどうでもいいという人

ファッション

なんて興味ない、服などまったく気にしないというひとでも服をまとって生活しているし、その服は大人なら着せられているのではない、主体性をもって着ているのです。ひとには選択の自由というものがあるのだから。

着たくてきているのではない、たまたま着ているとはいいつつ、下着のうえにきちんと服を着て歩いているのですから、社会に適合した服装をしているということ。

自らの意志によって、今日のその場にあったものを判断して選んだ服だと言えます。

服なんてなんでもいいのだと言っていても、それを選んできているわけです。

新しいデザインと工夫

前例を

を見習うと踏襲というか伝統を引き継ぐデザインになるかもしれないし、前例を否定する、それまでのあたりまえの美を疑うところから出発すると、当然その時代のひとには受け入れられないし理解もできない。それがデザインなのか、物作りなのか。

意味を持つ

指輪ringbook.net

意味と意味されるもの、言い表されるものとのギャップ

意味を持つ

もの、こと、あるモノ、できごとの意味を考えてみる

実際に目に映るものだけでなく、ほぼ多数のひとに認識されている概念、たとえば冬という言葉と実際の冬というもの、こと。どこまでが冬でどこからが冬。丸についても、まんまるも、楕円もだいたい円らしきものもみんな丸と表現されるけれど。誰から見ても丸でないもの、こと。。少数のひとがそれを丸と感じることも。結婚指輪も。
李ウーファンの石とガラスの作品。
石が何でガラスが何じゃなく、なんでガラスに石置いちゃうの的な、それまでタブーでだれもやらなかったような
かなり不可解でどこか落ち着かない組み合わせ。だいいちガラスに石置いたら割れそうで怖いし、あぶなそうだし、置くときどれだけ気をつけなきゃいけないか。
しかもどっしりした大きい石。座れそうなくらいの。
そのハプニング的なことろ自体が作品化されている。
それまで作品というと、何かせっせとよっこらしょとこしらえたもの、手によってはぐくまれたものを
めでるという方向が大前提だった。
けれどこれは石自体にも何も手を加えられていないし、
ガラスも既成の何の変哲もないガラス。
ガラス自体が主張するんじゃなく、人の気持ちがゆさぶられる
そんな仕掛け自体が工作されている。
仕組まれている。そこに意図がある。何かの仕組み、ひとの概念のあたりまえな仕組みをちょっとずらしたり、組みかえたり。
感情とか概念をうまく突いている。何かに気づかせてくれる。それは受け取る側ひとりひとりの気持ちの入る余地も残されている。
ねらいはしっかり作品となってこちらに残る。
ポップチタン